こんにちは。
オリンピックが終わり、高校野球が始まりましたね。
高校生のひたむきなプレーは見ていて爽やかです。
先日の広島新庄対横浜の試合では広島が2点リードで迎えた9回裏の横浜の攻撃。2アウトで敗戦濃厚な状況の中、横浜の1年生がまさかの逆転3ランホームラン。
ドラマのようなことが起こるのが高校野球の魅力で勝った方も負けた方も球児の涙が印象的です。
オリンピックで侍ジャパンの金メダルに貢献した村上宗隆選手は熊本県出身。1年生の時に甲子園に出場しています。
残念ながら1回戦で負けてしまいました。村上選手が甲子園に出場したのは1回だけです。
今日は高校野球で負けた経験を力にしてプロで大活躍、侍ジャパンの金メダルに貢献した村上宗隆選手の高校時代のエピソードや座右の銘を紹介します。
村上宗隆選手の高校野球にまつわるエピソード
村上宗隆選手の母校は熊本県の九州学院高校。入学直後から4番打者として活躍。その年の甲子園出場をかけた夏の大会では初打席で公式戦初の満塁本塁打。九州学院は、甲子園への切符を手に入れます。
高校通算52本塁打と当時から才能が際立っていました。
そんな村上選手は、全国的には無名でした。私は時々、高校野球を見ます。まさか、あの村上選手がプロで大活躍する選手になるなんて。見る人がみれば分かるのでしょうが、にわか高校野球ファンの私には想像できませんでした。
2015年の夏、1年生ながら4番で甲子園に出場した村上選手。結果は4打数無安打。1塁守備で2失策してしまいチームは初戦敗退してしまいます。
村上選手の同学年には早稲田実業出身の清宮幸太郎選手がいます。清宮選手の方は1年生ながら2本塁打を打ちチームの4強進出に貢献します。
清宮選手は高校時代、熊本に練習試合で来たことがあります。私は見に行きましたが、当時から人気があり、たくさんの人が清宮選手を追いかけて写真を撮っていました。高校野球のスター選手でした。
村上選手は高校2年生の時に熊本地震を経験。練習もままならない状況の中で「野球ができることへの感謝」を実感したそうです。
村上選手が甲子園に出場できたのは1年生の夏の1度だけです。その後は同じ熊本の秀岳館高校が立ちはだかります。当時の秀岳館高校はレギュラー選手全員が県外出身の強豪校でした。
村上選手は公式戦で1度も秀岳館に勝てませんでした。最後の夏も決勝で秀岳館高校に敗れ「自分の力不足です」と悔し涙を浮かべたそうです。
高校卒業後、プロを希望していた村上選手。清宮選手は7球団が1位指名し、日本ハムに入団。村上選手は外れ1位で3球団が競合してヤクルトに入団しました。
侍ジャパン金メダルに貢献した村上宗隆選手の座右の銘
侍ジャパンで金メダルに貢献した村上選手。
高校1年生の夏、甲子園で1回戦で負けたあと「先輩の夏を終わらせた」と自分を責めたそうです。そのときに、当時の監督が戒めるわけでもなく「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の4文字を伝えました。
村上選手はその言葉を今も座右の銘にしているそうです。
「臥薪嘗胆」は中国の故事で漢字の意味は「自分を苦しめることで、復讐の志を奮い立たせる」ことです。
それが転じて「目的を達成するために耐えて努力を重ねる」という意味で使われます。
村上選手は甲子園に出場できず、18歳以下のワールドカップ代表にも入れませんでした。それでも、「臥薪嘗胆」の言葉を胸に、自分を奮い立たせバットを振り続けました。
高校野球で負けた経験を力にして活躍する村上宗隆選手
村上選手はヤクルト入団後、プロ入り2年目の2019年には全143試合に出場して新人王。昨季は全試合4番で出場。最高出塁率のタイトルを獲得しました。
野球を始めたころから侍ジャパンに憧れていた村上選手。東京オリンピックのアメリカとの決勝戦で、先制ソロホームランを放つなどの活躍で侍ジャパンの金メダルに貢献しました。
東京オリンピック
— 野球日本代表 侍ジャパン 公式 (@samuraijapan_pr) August 7, 2021
決勝 アメリカ戦#村上宗隆 選手(3回 先制ホームラン)
「打ったのはチェンジアップです。まずは先制点をとれて良かったです」https://t.co/0xKPqGT23V#侍ジャパン@Japan_Olympic#がんばれニッポン#Tokyo2020#Baseball pic.twitter.com/iB1XDaE9ZP
村上選手は、高校時代、試合に負けて悔しい思いをしていた時期に「絶対に次世代を引っ張る選手になる」と誓ったそうです。
負けた経験を力にして、日本球界を代表する強打者になった村上選手。
まだまだ、これからの活躍が期待されます。
まとめ
侍ジャパン金メダルに貢献した村上宗隆選手の高校野球時代のエピソードと座右の銘を紹介しました。
高校野球時代、甲子園に出場できたのは1年生の夏1度きりでした。ですが、恩師に送られた「臥薪嘗胆」の言葉を胸にバットを振り続けます。
甲子園で活躍するという夢は叶いませんでした。でも、悔しい思いをしていた高校時代の経験が、プロでの活躍につながっているのではないでしょうか。
プロ入り後は毎年本塁打と打点の数に応じて一定額を熊本城復旧に寄付しています。
「自分が打つことで喜びを与えられたら。もっと故郷に恩返ししたい」という村上選手。私は村上宗隆選手を応援します!
そして、負けて悔し涙を流している高校球児が経験を力にして輝いていくことを願っています。
「栄冠は君に輝く」頑張っているすべての人に送りたい言葉ですね。