こんにちは。
急に気温があがり、暑くなってきましたね。
最近、私は仕事で訪問した学校で、ある言葉に出合い、心が熱くなりました。
その言葉は、日本教育界最大の人物と言われた森信三さんに「超凡破格級の教育者」と称された徳永康起(とくなが やすき)さんの語録の中におさめられている言葉です。
森信三さんの言葉「時を守り、場を清め、礼を正す」は以前の記事でご紹介しました。
今日は、私が感動した熊本の伝説の教師、徳永康起さんの言葉をご紹介します。
伝説の教師!徳永康起さん
「眼(まなこ)を閉じてトッサに 親の祈り心を 察知しうる者 これ 天下第一等の人材なり」
これは、私が感動した徳永康起さんの言葉です。深い親心を感じました。
伝説の教師徳永康起さんについて調べてみると、子どもたちに対する愛の深さを感じます。
徳永先生は30代の若さで小学校の校長になられましたが、「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」と5年で降格を願い出て一教員に戻られました。
どの学校でも、先生方が一番敬遠している難しいクラスを受け持って、みんなを勉強好きに変えてしまったそうです。
また、徳永先生は、終戦直後、弁当を持ってこれない子どもたちと遊ぶために、昼食を食べず、以来、晩年まで、昼食をとらない人生を送られたそうです。
徳永先生について、調べてみると、先生との出会いで生き方が変わったというエピソードがたくさんありました。
徳永先生のエピソードの一つをご紹介します。
戦前のことですが、クラスの生徒が「買ったばかりのナイフがなくなった」と言ってきたときに、先生はどの子が盗ったのか分かったそうです。それで、全員を外に出して遊ばせて、盗ったと思われる生徒の机の中をみると、やっぱり入っていました。家が貧しくて親御さんにナイフを買ってと言い出せなかったのでしょう。
先生はすぐに近くの文房具屋で同じナイフを買い、盗られた子の机の中に入れておきました。
子どもたちが教室に戻ってきたときに、もう一度、ナイフを捜してみるように言いました。「先生、ありました」と生徒が答えると「むやみに人を疑うもんじゃないぞ」と言われたそうです。
盗んだ子はだまって涙を流して先生を見ていたそうです。
時はながれ、戦時中。
ナイフを盗った子は、特攻隊員として出発するとき、先生宛に遺書を残しました。
「先生、ありがとうございました。あのナイフの事件以来、徳永先生のような人生を送りたいと思うようになりました」という書きだしで、先生のことは一生忘れませんと書いてあったそうです。
先生との出会いが、生き方を変えたんですね。
徳永康起先生は特に家庭的に恵まれない子や教室の隅で寂しそうにしている子に目をかけられていたそうです。
徳永康起さんのSNSでの話題
徳永康起先生はTwitterでも話題になっていましたので、一部をご紹介します。
2021年23冊目。
— 上川 悟史 (@ue19AN) May 25, 2021
「人を育てる道」
校長を辞して平教師に。組織のマネジメントより直接子どもたちの教育に携わりたい。そう思っている人は案外多いのかもしれないけど、実際に地位を捨てて一教師に戻る選択をした人は、この徳永康起氏以外いないんじゃないか。自分が何をなすべきか、明確な人は強い! pic.twitter.com/wsNIXgUgJh
【今日の言葉】
— hitoshi.kimura (@jinkimuraashiya) April 13, 2021
自分を育てるものは自分である
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徳永康起(伝説の教師/『教え子みな吾が師なり』著者)
『教え子 みな吾が師なり』
— 倭人 ひなか (@NFGSVZqgAiGBAyR) May 19, 2021
徳永康起先生
今日、父から徳永康起先生という人について教わりました。
— 保育士重子 (@jX9fPTwjsF5cS3b) March 28, 2021
私の保育に大きな影響を与えてくれる予感しかしません。
時代を超えて、徳永康起さんの思いに、心を打たれる方がたくさんいるようですね。
まとめ
熊本の伝説の教師、徳永康起先生をご紹介しました。生涯を教育一筋にささげられた先生の言葉やエピソードを調べて、心が揺さぶられる思いがしました。
冒頭の「眼(まなこ)を閉じてトッサに 親の祈り心を 察知しうる者 これ 天下第一等の人材なり」の言葉から深い親の愛情を感じます。先生はきっと、出会った生徒さんに親心で接していらっしゃたのだと思います。愛情をかけられると、人は強くなるのだと感じました。
私も母親の一人として、娘にしてあげられることには限りがありますが、しっかり愛情を注ぎたいと思いました。娘が何か迷ったとき、悩んだとき、目を閉じて私のことを思ってくれるといいなと思います。
最後まで、お読みいただきありがとうございます。