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「花に嵐のたとえはあるけど、さよならだけが人生じゃないよね」桜の季節の日記

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こんにちは。

卒業や異動、退職など3月は別れの季節でもありますね。

 

職場の同僚の退職や娘の担任の先生の異動などで、私も寂しさを感じています。

私が住む地域の桜は、先週ほぼ満開になりました。歩くだけでもウキウキした気分に♪

寂しさと美しさが入り混じった3月は、毎年のことですが感傷的になってしまいます。

 

昨日は嵐のような雨でした。

毎年この時季に思うのは、「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」という言葉です。

ちょっと切なくて、しみじみと感じるものがあります。

 

今回は「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」について考えてみました。

桜の季節の日記です。

みなさんは、この言葉をどう感じますか?

 

 

 

「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」の意味は?

「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」

この言葉は、唐の詩人、「宇 武陵」の五言絶句「勧酒」を井伏鱒二(いぶせますじ)が和訳したものです。

 

どんなに美しく咲いている花でも突然の嵐によって散っていくように、出合いには、必ず別れが付きまとう、人生とは、はかないものだ」というように受け止められます。

切ない気持ちになりますね。

 

また、「何事もいつか終わるのだから、今の時間や出会いを大切にしよう」という一期一会に通じるものも感じます。

二度と戻らない、今を大切にしようということですね。

 人生の本質に迫った名文だと思います。

 

「花に嵐のたとえはあるけど、さよならだけが人生じゃないよね」とも思う

これに対し、寺山修二は「さよならだけが人生ならば、またくる春はなんだろう」という詩を残しています。

 

桜は散ってもまた翌年、美しい花を咲かせます。

出会いがあれば必ず別れはありますが、別れは出会いの始まりでもありますよね。

新たな出会いもあるし、縁があればお別れした人ともまた出会うかもしれません。

 

そもそも、一度も出会っていない人とは、道ですれ違っても、声をかけることもありませんが、学校の同級生など、10年以上会っていなくても、偶然見かけたら声をかけると思います。

そう考えると、「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び逢うまでの遠い約束」という「セーラー服と機関銃」の歌詞の一節を思い出しました。

 

さよならするのは人だけではないと思う

「さよならだけが人生」のさよならするのは、人だけではないですね。物や習慣、過去の自分ともお別れすることもあります。

 

新年度に向けて断捨離したり、目標を決めたり、再出発の機会でもありますね。

過去の習慣や、やり方を変えるのも、いいかもしれませんね。

 

 以下の記事で「不安で自信がない自分を変える方法」について紹介しましたので、参考にしていただけると嬉しいです。

www.rirakusuru.com

まとめ

「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」の意味を考えてみました。

どのように考えるかは、それぞれの自由だと思います。

 

私は、「出会った人とはいつか別れが来る」という人生の儚さを表現しただけではなく、もう2度と戻らない日々を大切に生きるという、一期一会に通じるものがあると感じました。

そして、別れがあるから次の出会いもあるし、縁があればまた出会うこともあるので、やっぱり私は、「さよならだけが人生じゃないよね」とも思います。

再び戻らない今という時間を大切にして、新年度に向けて心を整えたいです。

 

最後まで、お読みいただきありがとうございます。この記事が少しでもお役に立てれば嬉しいです。

それでは、今日も素敵な時間をお過ごしください♪

桜の写真